おでかけ

おでかけ東京。

最近移動が多いですね〜

昨日は、吉田統合研究所所長の吉田一敏先生にお会いしに行ってきました。

本を読んで、これは会いにいこう!と。

希釈用の水の本を読んだ時も、これは会いに行かねばならぬ!!!と、

即時連絡を取って、先生まで会いに行きました。

二人目です。

いやー。

非常に面白かったですね。

前日に、急遽twをしてほしいと言う方もお誘いして一緒に行きました。

相当落ち込まれていたので、

明日私は東京行くんですよ、吉田先生に会うんです、

一緒に気分転換に同席いかがですか、

もしかしたら、先生、別の側面からお話ししてくれるかもしれませんよ、と、

お誘いして二人で行ってきたんですね。

私が話した話を、別次元から見てみたら、と思ったのです。

だいたいそういう大家の先生方は我々がどういう者でどうしてきたのかなんて

言わなくても、頭で思っている事を「話して」下さるんですよね。

それは、私たちのオーラがそうさせるんです。

場、です。共同創造ですね。

先生もちろんもれなく、寸分違わず、例に挙げてくださり。

先生のお持ちの考え方を教えてくださいました。

しかも前日私が話した話と全く同じ結論でした。

ははは。

二人でもう笑いが堪えきれずでした・・・😆



先生開発のヒーリングウェーブは2年ほど前に買って、

自分用というより、仕事場を整えるのに使っていました。

先生とお会いできるタイミングがようやく整ったのでしょうね。

先生のお話は、かなり深いので、相当勉強して「人間とは」の前提が無いと、

「へーおもしろーい」で終わってしまうのでしょうね。

先生ご自身が非常に現実が軽いので、スナック菓子と一緒です。

気づいたら無くなってるし、食べた?みたいな感じです。

例として適切でない?

わたあめ食べた時に、ガトーショコラのように重みを感じて、

うおおおおおってなれるか・・・?(例としてですよ)

スナック菓子もわたあめも素晴らしいお菓子です!

優劣はありませんよー。

そんな感じで身に染みて「そう、それです!!!」となるまでに、

私はうっかりと2年を要したようです。

なので、初めてでしたが意味はすごく色々理解できました。


GWに先述のお客様が、少しご感想をくれました。

タイムウェーバーを購入時に

サポートしてくださった方に、この世の現実の作り方として

配った本があって、それを読んだ、と。

改めてかなり役に立ちます!と言ってくださり。

私、量子とは何かを説明するのにその本が薄くて軽くていいので配ったのですが。

今量子物理学は、ブッダの言った事をまるで証明するように進んでいるそうです。

ベーダ哲学は、古代のチベット方面で始まったとされています。

ベーダ哲学がインドに渡り、そしてブッダが2500年前にお悟りなさって、

融合し、またチベットや日本へ逆輸入して、現在に融合したと考えています。

ベータ哲学も原初のブッダの言葉も近いものがあります。

(この本の話ではないのですが、ちなみにチベットの文献には、5000年前の文献なのに、「円盤型の乗り物に乗って、空から金色に光る人がやってきて」という描写があるんだそうですよ!おもしろいですね!)

でも、あまりに容易な本なので、どこに価値があったのか、

なぜ配ったのか、意味がわからなかったかもしれませんね、ははは。

良いんです。あらゆる本の中から一冊と思ったらそれだったのです。

お持ちの方は読んでみてください。

(最後に本の紹介はしますのでお待ちください🎵)

何度も何度も読んで落とし込むと、お役に立ちますよ。

その意味が腹落ちした時、

なんて私たちは現実を適当に生きていたのかと気づきます。

さて、そんなことでその本を我が家の棚から探したりと、

改めて本を整理していて、吉田先生の本も出てきまして。

で、改めて読み返したり、新しい本も出てたので取り寄せて読みました。

するとですね、この数年の勉強、

その「役に立つと贈った本」のようなお話しを全否定する本を書かれています。

何を全否定しているかというと、

「因果律」です。

これをしたから、こうなったということはない、

ということは、カルマもなければ罪も無い。

人生などないし、生きる理由などもない。

そもそも「私」がいちばんの問題なのだ、と。

結論だけ読むと、これは大事件ですね・笑

タイムウェーバーを知りたくて、数年勉強した事は、

ほとんどが因果律と素粒子なので、

別の方角から素粒子を説明する先生に、

会いに行かねば、と思ったのです。

(ここで、では因果律は無いのか、と、思わないでください。真逆の意見は同じ意見なのです。)

だから会いに行こう!と思って日程を見たら、

数日後に会えることがわかり。伺った次第です。

なぜ真逆の意見が同じ意見なのかというと、

この世は二元性なので、真逆の意見というのは、

一見真逆に見えて、相手(反対側の意見)を理解するのに、

より早い方法なのです。

太陽があるから日陰のありがたさがわかり、

日陰があるから太陽のよさがわかる、ということですね。

これは弁証論でしたか、などとして資本界隈では残ってますし、

スピリチュアル界であれば、陰陽論、☯️このマーク、などです。

多くの理論に応用されています。

例えば、何かを流行らせたかったら、

似たようで真逆な性質を持つ二つを作る訳です。

神は最初にルシフェルを作りました。

堕天したと言われていますが、堕天したのでしょうか。

堕天したけど今はもう天に帰還し、すべてを支える仕事をしている、という人もいます。

どのストーリーも劇的で楽しいので採用したいものをぜひ。

どの話も、神という名のついた一なるものがそうしたかったのです。

神ではわかりづらければ、資本界隈のわかりやすい例は、

集英社と小学館、のように、同じ方が同時に似た会社を作るのに似ています。

同時に両方が育って今はどっちも世界的な大きな会社になりましたよね。

売れる漫画や物語にライバル、トラブル、問題、に見えるような「真逆な人」は必須です。

だから、主人公の持っている「思い」「背景」が際立つのですね。

私自身もその方法を無意識に取っている事がありますね!

(希釈用の水を心底理解したくて、超重曹を扱うのです。どちらも出る結果や、話しが、非常に似ているので、両方おいてあります。どっちもそれでいいのですね〜。皆様のお好みにお任せします。おもしろいですね〜。我が家だからこそなんでしょうけれども、飲むのは飲みやすい希釈用の飲料用許可が下りている水が多いのですが)

これは、結局、この世を作った人(一なる人)が取った手法なので、

永遠にこの手法は残ります、最後の一人、に戻るまで。

といっても、最初から一人で、今も一人だし、最後も一人ですが・・・。笑。

私はクセで、一つの事を学んだら、それを全否定する人を探すんです。

もしくは、全く違うものなのに、似た様なものをさがします。

それで、両方を擦り合わせて、中庸にして、別の側面からそれらを理解します。

たとえば飲まないフラワーエッセンスを最初に扱った私に、飲むエッセンスが同じように役にたつ、心から扱っていいと理解するのに2年かかりましたよ!スリスリスリスリ擦り合わせ。でも知る前よりも両方を立体的に理解できるのです。飲む飲まない=真逆ですよね!

会いにいって、本当に良かったですね。

因果律も改めてより立体的に理解できるようになりますし、

一なる存在のやりたかった事も簡単に理解できるようになるので、

因果律も引き続き学び続けます。

そして、どちらの結論も同じなんですよ!

「愛は全てを解決する(愛があれば全てが問題ではない=問題などない)」

宇宙は愛でしかできてないとかいいませんか。

では愛とはなんでしょうかね〜

ははは。

でも、どの仕事も人生も意味がないわけでもないのですよ。

全部に意味がないということは、全てに意味があるのと同じです。





私が昨日の話を聞いて思うのは、

因果律というのは、下から積み上げ方式なんですよね。

旧時代のもので、この鉄の時代の最後の5000年には便利でした。

結局ベーダ哲学に集約される、東アジア全体で流行った仏教などまで。

徳みたいなものを積み上げていって、

そういう光る現実を出さざるを得ないところまで持って上がる。

心の中で、最大の善を作り出すのですね。

そしてある意味でのゴールを達成する。

悟りは開始であり、悟ったところがスタート地点という考え方ですね。

人間的視点ですね。下から上に。これが仏教的な事。

吉田先生は、逆で、神視点。上から下におろす。

こちらは原初キリストの教えに近いそうです。

神が全部体験したくてやっている事だから、すべて神に委ねてしまいなさい、という。

(私というものがあり、そしてない、という教えですね。)

(タイムウェーバーがやっているのはこちらに近いです、人の持っているデータのダウンロード書き換えなので)

上から全部作ってしまって、

現実に理由も目的もなく、ただ、体験だけがある、

その体験を秒でつくればいいのじゃない?という。

でも、体験なので、当然良い悪いがなく、

病気という体験を作ってもいいし、

愛と平和という現実を作ってもいい。全許可。

そこに自分が望む現実しか現れていない、と考える。

(これは因果律も同じ考え方です。自分の内側からしかすべて現実投影していないし、他人すら全て自分で作り出している。自分の中に無いものは見えない。だから、吉田理論も因果律もどちらも、真逆の様に見えて、同じなんです。)

もし自分が望んでいない現実が現れているならば、

設定ミスというだけ。

因果律も、全許可、全現実はすべて自分で作っている、という前提があり、

だからこそ、人によくして、自分を丁寧に生きて、いい現実を作る。

自分が望む現実があるということは、望まない現実があり、

望まない現実を作らない方法を実践すれば、

自ずと望む方法を生きることになる・・・という。



吉田先生の統一理論も、因果律のベーダ哲学も、

どちらも結局同じことを言っている事を理解するのです。

どちらが高い理論で、どちらが低い理論ということもありません。

秒で結果が出る方が良い方もあれば、

ドラマを楽しみたい人がいてどちらもいいのですね。

私は秒派希望だから、フラワーエッセンスやタイムウェーバーなどを

扱うのを楽しみにして仕事をしているのですね。

因果律は、これまでの三次元では非常に説明に便利だったのです。

これからは吉田先生の方法の方も便利なのでは、とも思いますが、

皆さん、カルマが無いと言われたらどうしますか。

無責任に生きて全員を敵に回して無責任を体験するのでしょうか。

(したければぜひどうぞ・笑😆)

結局因果律に似て、愛や平和、喜びの初期設定がなければ、

何となく我々が思い描く最高の幸せや、楽しい現実も待っていない訳ですね。

面白いですね。

同じところにたどり着いてしまいましたね。

私はただ、タイムウェーバーを自分の言葉で説明したかっただけです。

それで、人間とは、という旅に出ました。

現実を作るとは、人間とは、と、数年勉強をし続けました。

よく考えれば、地球は宇宙の際の果て。

創造の一なるものの真逆にいるんですよね。

人間というものを理解したかったら、人間界のそういう奥義と、

真逆の吉田先生のような、一なるものとはの定義を擦り合わせれば、分かるのですね。

ようやく両極を理解しながら、だいぶ楽しい所にたどり着いてきました。

一昨日急遽twをと言った方も、「あんなに泣いて落ち込んでなければ、同じ東京ならいつでも会えると思って、会社に行ってしまってこの場にいなかったから、あの出来事は、この場にくるための布石だったと思うと、あの出来事に感謝ですね」と笑っていました。そうですよね〜。

そういえば明日急遽東京へ行くんですよ、明日午後一緒にどうですか?と言って、行く!と即答したこの方のタイミングの良さそれ自身も、非常に興味深いものです(お仕事は好きな時間に働けばいいので、非常に自由度が高い方ではあります)

吉田先生がさすがだな〜と思ったのは、

「僕が話した話は、ティーチャー制とかいいませんから。誰にでも話してください。僕が話せて伝わる人なんて限られていますから、ぜひ!」

とのこと。

私だから伝わる人もたくさんいるので、

また聞いてください。話します。

習った事は、話せる方には、大体全シェアしてます。

またぜひ!お話ししましょうね!

また吉田先生に会いに行く予定です。

それからヒーリングウェーブの楽しい使い方を習ったので、

これから皆さんとまた実験をしてみたいと思います^^

よろしくお願いします。




参考書

この本を読んで、これは会いに行かねば!となりました。

真逆すぎる!面白すぎる。

そもそもこの数年でどうやら現実は真逆にできているとやっと気づいたので、

付箋だらけになりました。

おもしろかったです。

(どの本も面白いですよ。今は最後の1冊「超越パラレルワールド」を読んでいます)

先生の本もわたあめの様に軽く、

次の本も、同じ様にわたあめの様に軽い本です。

(内容はどちらも真理に迫るものでどちらも軽いのですね)

真逆の因果律。

もう絶版してますので、チョプラ先生の別の本でも良いかと思います。

最後の数十冊を私が買い占めました・笑

買い占めて、皆さんにプレゼントでお配りしました。

やはり、人生楽しく生きるには、と、皆さん思うだろうと思ってこれにしました。

薄くて軽くて、簡単で、そして、この世の作り方が書いてあります。

人間視点で、ですね。

チョプラ先生はベーダ哲学を元に現実を作る方法を記しています。

そういえば、まだ先日取り寄せて読んでいないのですが、チョプラ先生の本の中にも、「ゆだねるということ(上下)」という本があります。因果律なんですか、ゆだねるのですか、どうなんでしょう。同じ所に着くのですね〜。ふふふ。

吉田先生からすれば、因果律はやりすぎると自分を縛りすぎることもあるので、

意味ないけどね!とのことでしたー。笑

なぜなら理由が先にあるから。

体験しかないのに、理由は不要、だからです。

先ほど述べた通り、「持って上がる」。

非常にコストというか、こころのエネルギーを使う方法だからですね。

ちなみに、ベーダ哲学又は仏教若しくは因果律も、量子理論も、

吉田先生も明確に否定しているのが

有名な「引き寄せの法則」です。

私も本をたくさん持っていますよ。

あの本が「悪い」わけではないのですよ。

「ある時点まで」は、非常に役に立つし、すごく良い本です。

良い気分でい続ける努力も、感情は単なる選択なので、悪いことではないのです。

それはすこし違うと否定している理由の主な部分は、

「すべての体験は内側からの投影であって、外側からその望んだ世界が自動的にやってくる訳ではない」からですね。

でも、我々はたしかに自動で超高速のフラッシュ映像を「勝手に」体験しているように見えるので、我々が引き寄せている、そう見えても仕方がないとは思います。

言い方の問題なんでしょうかね?

まったく異なる理論を展開している二つの本ですが、

体験は外側にある訳ではなくて、内側からの投影でしかないということ、

そのような共通項もあります。




ある意味で私もその部分は両方を理解するんです。

自分をしばり、限定の中で生きるという美しいように見える喜び。

そのしばり限定外して「私は最高に自由だった、忘れてたー!」と気づく喜び。

タイムウェーバーをやればやる程、

人間とは、パソコンと同じなのではないか、と思う日が増えました。

データを書き換えたら、別の人生を生き、過去を思い出せなくなります。

それで、「人間とは?」という問いの答えを探しに出る旅に出たのです。

いやーこの旅は、家にいるのに、異常に旅のコストがかかりますー!😆

もう本当に、どれだけ使ったか!!!笑

至高に至るための、思考の階段・・・至高の階段?登るコストですね!

でも、学んで、また皆様に循環したかったのですよね。

量子力学から入り、投影された宇宙、鏡、ホワイトスクリーン。

粒、種、潜在意識。

ヒプノも体験してみたし、催眠でも勉強してみました。

データを上書きしたら、できなくなってしまうし、できたりする。

では、我々は、私なるものがあるように見ているだけで、

実はパソコンで、データ次第で幾らでも違う人生をいきるのでは?と。

なので、OSを変えてやればいいのでは、と。

臓器移植をすると、性格が変わる。

元の方の周波数が臓器に残っているので、その方のような部分も引き継ぐのだそう。

怒りっぽかった人が、穏やかになってしまったり。

(臓器を入れ替えただけで人が変わるなら、私、とは何でしょうか。我々は誰ですか?)

ドイツのスピード無制限の高速を走って良い人生を追う人もいるし、

まだプログラム組むレベルで、ゆっくりと歩いて行こうと歩いている人もいる。

タイムウェーバーは、ドイツ産なので、ハイウェイなのだろう、と。

どちらもそれで良いんですけどね。

すべてそれでいい。

それでいいのだ。

だんだん、バカボンのパパがこの世の真実のようになってきました。

最後に。

吉田先生が仰るに、「働く」という活動をするのは、「人間だけ」だそうです。

働くという観念が宇宙や大自然にはないんだろうな〜。

猫様は働きませんが、下僕はお食事をさっさとお届けしますね!!!

働くなんていう観念はなくて、遊んでるだけ。

でも最高に可愛い。

人間にとって猫は可愛いものという観念があるからです。

猫が嫌いな人と猫アレルギーの方、ネズミには、「やめてー!」ですね。

猫は猫です。そこにいて毛繕いしているだけ。

すべては見ている側の勝手ですねー。

子供と同じで、好きに寝てるだけ。

時間を忘れてキャッキャ言っているのでいいんだなー!

人間にも人生にも目的などない、ただの体験の連続とのことですよ!

さあ!!!!どうしましょうね!!!!😆

(皆さんに壮大な移動のきっかけを投げるだけ投げて今日は終わります。よかったら両方の本を読んでみてください。まったく真逆の事を言いますが、どちらも「同じ」なんですよ!私も続けて学んでまたシェアしますね〜)

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