8月のひとりごと 過ぎ去ったことが運命

皆さんは運命なるものを信じるでしょうか?

私自身も「出会うべくして出会った」と感じる人が最近多いような気もしています。

でも、ある程度運命には「余白」がある気もしているのです。

余白は本当に白いキャンバスで、自分で自由に書き込むことができる、と、思うのです。

その余白の大きさ自体も自分で決めることも出来るような気もしています。

そして目的に応じた人に会う、その目的を決めること自体は私たちに委ねられていて、適切な配置になる、という感じ。だからどんな人とも「適切に」会っている、というのは感じます。

ので、運命を呪う前に、もっと自分の目的、志しを高く保つことで、出会いの質を上げることは可能だとは思います。ですが、「そういった「低い人」と出会いたくないから」という理由で何かを志す場合、やはり出会ってしまうという、パラドックスも含みます。

よってやはり他人はコントロールできないもの、自分の質を上げることに特化すべきですし、望まない人と出会ってしまった際にどうその出来事を受け止めるか、どう解釈するのかが、やはり運命なるものを決めていくのだろうとも思います。

運命は変えられる、過去も変えられる、というのは、結局は、どのような内容でも自分がポジティブに受け止めれば素晴らしい出来事になるのだろうと思うのです。

例えば破産した場合は、一見最悪だと感じる方が多いかもしれませんが、数字が無くなっただけです。少し見かけ上の信用も減るかもしれませんが。でも、すべて捨て去ることが出来て、持ち物が多過ぎたことを知り、でも生きていれば何とかなることを学んだ、とか。なんとでも運命についての解釈はできます。運がいいとか悪いとか言ってますが、ぜんぶいい事だったと言い続けていく心の強さ。運の良さはこの脳内の言語変換能力の差なのかもしれません。それを学ぶために人は山のように本を読むのかもしれません。

出会いだけでいえば、本当に望まない人(本・もの)とは出会いないはずであり、出会ったからには何かしらの学びや見ることがあるはず・・・。

さて。

以下の方は、30歳で他人の言葉を自分の真の運命だと信じた方の、25年後の話です。

「「見える人」に、あなたは60で死にます。持っているものが悪すぎるからと言われて。今56歳で、血小板増加症というのにかかり。もう少ししたら抗がん剤と言われています。タイミングが良すぎて・・・見ていただきたいのです。」

昨日、そんな電話がありました。

(注:現在長野県の方針もあり対面は県内の方に限定させて頂いています)

電話の主によれば、30歳の時にそう言われて、本当にそうなのかしら?と思いながら25年も、自分は運が悪いとか、持っているものが悪いとか、60で死ぬとか、考えながら生きてきたとのこと。

冒頭の話を聞いて、私、すみません、笑い飛ばしました・・・。

死ぬわけないです、と。

もはやもうこの一言でカウンセリングは終了ですがまた今度いらっしゃることとなりました。

これって呪い以外の何ものでもないです。

ヒーラー霊能者たちのよくあるパターン。

「あなたは悪い(私は良い)」という。脅し?恐怖の種を植え付けること?

この言い方をするヒーラー占い師霊能者はまねごとですね。

すごい人になりたかった人です。

言葉が悪くてスミマセン。

出会った事自体が運が悪かった、クソです・・・ウン・・・。

そういう肩書を付けているだけです。

思わず私が問うた唯一の問いは「その方は占い師ですか?」という問いでした。

占い師の中には、解釈だけで話をする思考停止、硬直した仕事をする人が沢山います。

答えは「見える人でした」とのこと。

本当にチャネリング又は「見える」として取ってきている情報のレベルが低すぎる・・・ということは、繋がっている次元が非常に低い。

何たる悪行、この手の方こそ生きた悪魔だと思いますよね・・・。

悪魔を表現するとこんな感じなのでしょうね、命を絶えさせる方向に向かわせるような人生の表現。

もしかしたらこの見える方自身も、低い次元の存在に繋がり、肉体を明け渡し、振り回されている可能性もあります。よく話をしてきましたが、低い存在であればあるほど、ある程度本人の気分をよくするようなことを言い、ときどきアストラルレベルで見えること、目に見えない事を見せたりして、神のようなきもちにさせて、肉体を乗っ取ります。

高い次元の存在は決して死について軽々と口にしませんし、運について、こうしないと運が悪くなるよなど話はしません。問いを出し答えるならば明るく軽い解釈の仕方を伝えてきます。

なぜなら運の良し悪しは自分で決めることだからです・・・。

つまり、運がいいか悪いかは、自分が勝手に決めていい訳です。

上記しましたが解釈能力の差が運命を分けるだけです。

それならば、どんなことがあっても、「私は運がいい」と言い続けた人が「運がいい人」です。これは真実です。さらりと書きましたが。簡単です。

毎日唱えてもいい事しか起きませんよ、「私は運がいい。」

生命、宇宙の法則はいつでもシンプルです。

我々の世界は生死について、見ることはしません。基本的には。

先日twのタイムラインで、「私の死のタイミング」を検索してほしいという依頼もありましたが、断りました。

なぜなら未来はたった一つ選択を変えるだけで、30年でも生きてしまうし、

長く生きたければ、不死の肉体へと移行する人もいます。

この方は、自分以外の誰でもない人の言葉を信じて60で死ぬ準備を30歳から25年もかけて毎日コツコツとしてきた、という訳です。

現在の日本の一定の生活をしている人が60で自然死するには、相当魂のエネルギー削って何かを生み出すか、そうでなければ相当体の中を痛めつけていかなければなりません・・・

予言の自己成就というやつです。

本当に、こんなことを言われて人生を棒に振るのはもったいない!

くれぐれも、死を予言するタイプの人に出会い、何かを予言されたならば、

すぐに「オーラブルー」と「クリアトーン」「ホワイトライト」を使って、内外の思考を消すことをおススメします・・・。(思考のエッセンス浄化セットだと少しお安くなります)トラブルに巻き込まれた位のことです。

昔の日本人的な言い方をすれば「塩まけ、塩!!」です。

(塩はいいですよ。本当にありがたい存在です。塩も「ミネラル(天然石)」の一種です)

私この世界に来たのはここ10年ですけど本当にヒドイなと感じる案件に時々出会います。

なんかそのヒドイという案件の尻ぬぐいをする事がよくありまして・・・。

といっても、それで仕事をした人にエネルギーは還っていくものなので、

ヒドイとは思いますが、ここで縁を切ってエネルギーを戻すならば・・・・。

これからこの方にその言葉を伝えた人のエネルギーの清算が始まります。

25年も誰かに言葉の負債を負わせ続けてきたのであれば、伝えた人は一気にエネルギー的に「破産」する可能性があります。お金なのか、命なのか。命をもって清算する人も良くあります。

私自身は仕事柄エネルギーの清算現場をよく目にします。

エネルギーの清算が起きた時、本当にものの半年で急激にエネルギーが枯渇し、亡くなってしまうこともあります・・・。でも不幸とか怖いとかではなく。

ずっと引き続けていたゴムをポンと手を離したら、ビョンと飛ぶのと同じです。長く引き続けてきたエネルギーのコードをチョキンと切ったなら、その勢いがそのまま本人に戻り自分が借りたエネルギーが還せなければ肉体を持って清算しそのまま天国に還るだけです。でもそのコードもエネルギーもご自身のもちもの。自分のエネルギーで自分が枯渇していく、やはり攻撃すれば攻撃が自分に還る、物理法則です。25年も引き続けてきたので、その手を離したら。エネルギーレベルで見れば、与えたエネルギーがおなじだけ元に戻る、物理的な法則にすぎません。お金で清算が起こるならまだマシです。だからこそ、愛を与えれば与える程自分に戻ってくるというのは当然で、逆も然りです。

25年コツコツ他人のエネルギーを取り続けた人のエネルギーの清算を考えれば、

これは相当、とも思いますから、こうした世の悪を憂う必要も怒る必要もありません。

たまに優しい人が「それならばかわいそうだからいいです」と言いますが、肉体を持って清算できることは、とてもありがたくすばらしいこと。天に還って清算するならば次の転生がどんな事を学ばねばならぬかと思うと。

私の所に来たのであれば、私はその人を「その人自身に戻す」だけが仕事であり、清算自体は自然がすべて適切に処理します。別に相手に何も起こらない可能性もあります。それでいいのです。もしかしたら以前の学びあいで、別の人生でエネルギーをお借りしていて、今回の人生をもって清算しているのかもしれませんしね。カルマに関して私が立ち入る許可は出ていませんし、それを読み解くこともしていません。それは本人たちが上で決めてきていることかもしれませんから、良いとか悪いとか、評価する必要はないのです。私という他人から見たとき、「ヒドイ」とは思いますけれどもね。過ぎ去った事が運命ですから、それでよく。

ちなみにですが、本当に大きな視点で見てもヒーラーが適切に行動していたのに、お客様がご自身の混乱をヒーラーにぶつけていて、自分のエネルギーや思考パターンで何か起きた場合は、残念ながら相手を恨みがましく思った所でそのエネルギーは自分に戻りますのでご注意を・・・。

クライアントさんがよくすることですが、誰かを選ぼうとするとき、誰が一流とか三流とか評価するのはやめましょう。全部あってよい。どんな人もいていいし、相性が良く気持ちが救われるならばそれでいいのです。気持ちよくお金のエネルギーを流せる人に流せばよく、気持ちよく払うならば自由に楽しく世界をめぐり、またご自身にふんだんに帰ってきます。

冒頭の方は紆余曲折する必要があってそれ自体が人生の旅であり、ようやくその学び自体が「終わる」「切れる」タイミングが来たということ・・・。

笑っちゃうような話を、25年も温めてしまったこと。

天に帰って「あんなに悩んでいたのに実は笑っちゃうような話だったのだ」と真実を知り改めて自分を見つめなおして転生しなおさなくても、解釈を変えれば運命はいくらでも変わります。

向こうに帰ってしまえば、悩みはすべて「笑っちゃうようなことだったと気付く」らしいですよ。で、すごーく小さな枠の中で泣いたり笑ったり怒ったり時に人を恨んだりしていたことに気づいて、愕然とするらしいです。全部笑っちゃうような事だったのに真剣に地球なりどこぞの宇宙で悲劇や喜劇を全力で演じてしまったので、また今度転生して、頑張って生きよう~とここにやってくるのに、また同じようなことで悩んでしまったり。

その辺は「ティクリア」や「ブルーソース」の範囲かも。悩んでいる時間とエネルギーがもったいないので、全部笑って終わりにする(笑うとは天に還ることと同じこと)ことを私は常々おススメしてます。怒りも悲しみもすべて笑いに変換することをおススメします。

全部笑ってしまって、たのしくて大好きな人生を生きてください。

にこにこしていたら、病気にもなりませんしね。

毎日マスクしているので表情を作ることも忘れたり笑うこと忘れてませんか。

笑顔を作るだけで気分は少しあがります。

笑顔をつくったら無理やり笑ったら涙が出て来る時は、疲れすぎている時。

ゆっくり休みましょう。

冒頭の方は休めば治るでしょうから、どちらも心配していません。

もしこれから占いに行ったりして、「死を予言」されて、

「不快」だと感じたら、即、浄化をおススメします。

病院で死を予言されても同じです。

命尽きる時、過ぎ去る時が運命、なので、いくらでも引き伸ばせます。

魂のエネルギーは永遠なので、枯渇することはありませんが、

肉体のエネルギー(寿命)が残っていたら、ですが・・・。

寿命、ほんとうに、喜びとしてのいのち、ですよね!

神様に頂いた、よろこびとしてのいのち。

だからこそ、わらって、よろこんで生きたいですね♬

命とは神の喜び以外の何ものでもなく、命が神ならば持ち物が悪い人は誰一人としていません。

魂も命も神の持ち物であり、全員だからこそ神の一部であり、

自由な表現としての、人間としての形があり、ただ見たいことや学びがあるだけ・・・。

自分が神の一部であったことを心底思い出した時、

では神として一体どんな運命を送りたいですかね?


そのことを思い、表現したいと感じたことが、真の宿命(祝命)であり、

魂の表現であり、そして、運命という運ばれる命によって導き、があるのかもしれません。

(・・・まとめがすごく壮大になっちゃった!と人間北村は笑っております)

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