三日連続で北村さんは、「二重スリット実験」という言葉をあらゆる方角の方から伺い、その名は知っていたものの、改めて見てみることにしました。
ノーベル物理学賞も今回量子関連のことが受賞されていましたが・・・
今日も体のケアに行き(先日の整体の先生ではない方ですが)、先生に「二重スリット実験ていうのがあってね(これで三日目だ・・・!by 北村さんの心の声)、例えば体の「胆嚢」という場所をケアしたいと考えたとする。でも、考えて観察した途端に、それまで全体が波として連携して胆嚢を動かしていたのが急に独立して、停止状態になって、全体から独立する。すると、かえって、胆嚢をケアしようと考え始めたがゆえに、胆嚢があまり機能しなくなる。だから、そこをケアする場合、ケアするがゆえに別の場所や全体をケアして結果そこを治すのだ(意訳)」
という禅問答なる答えをいただきまして。
先生は足をケアすることが多いようでした。
先生曰く、未来から過去を変えられる、未来から時間が流れているのでは?とのこと。それは養老先生の図書からだそうです。養老先生が言うに、例えば過去に時間を戻せるとして、太陽が西から東に戻ったら、それは変化であって、その間も時間が過ぎているから、それは西から東に動いただけであって、時間が戻った訳でもない。そう考えると、時間というものは存在しない、と言っている、とのこと。この二重スリット実験の両方の解答を両方先に養老先生は言っているのだよね、と。
現在は、目でみた瞬間のそのものは、完全に過去を見ている、らしい。
2000年の私にとって、限りなく未来である今の私たち。
もし、「今」の私が、「完全に幸せである」と「観察したら」。
「過去の私」も、同時に、「完全に幸せ」にしかならない。
今の私が、「私の体は完全に健康である」と定義した瞬間に、さっき胆嚢をケアしようとしていた私の胆嚢は、
「健康にしかならない」という挙動をとるのかもしれません。
未来から過去に時間が流れていて、それを意志をもって変化できるとしたら。
過去の自分のためにも、私たちは、いつでも「健康で幸せでいる決心」をし続ける必要があって、そうであると定義し続ける必要があるのではないのか・・・。それはでも潜在意識の使い方と全く同じであり、潜在意識には、過去も未来も時間も空間もありません。
私たちの認知上、過去現在未来は全部同時にある、というのは、時間が、直線ではなく、スパイラル状の形をとっていて、螺旋階段の上(未来)から下(過去)を同時に見ることができるから、というのが三次元での一番伝えやすい方法のようです。でもこの階段も無限にあって、何を体験するかは自分で選択し続けているらしい、のです。結果は、過去に「こういう体験をするのだ」と決めたものが、そのまま出てきている@潜在意識より、という訳です。潜在意識の使い方をマスターすると、そこに時間もないし、ただ、どの方向性でいくかを決めているのは完全に自分だということがわかるようになります・・・・。
で、二重スリット実験。
観察者が観察した途端に、それまで自由運動で縞模様ができていたのができなくなってしまう謎。
観察機自体の振動がもつ意識みたいなのが作用するのか、「観察しよう」という人間の意志が干渉するのか、はたまた空間のもつ条件が変わるのか・・・
動画を見たけれど、もう少し理解するのは時間が必要そうです。
(最先端の物理学者様でさえ答えが出ていない仮説状態なのでわからなくてもよいのです)
しかし、このことを仏陀は2500年以上前に教えで説いていた、というのが、
この二重スリット実験の私が今週最初に聞いた話です。
「空」の概念です。
そんなことから、しばらく、空の概念を思考の中で追っていて、
私たちは空を買い、空に生き、空を目指して生きているようだ・・・と何となく理解が進んできました。
空とは、可能性、という言葉に置き換えるのが一番伝えやすいような気がします。
何もないということではありません。
例えばキャベツ。
私たちはキャベツを買います。
凡そ食べるために買います。
空腹を満たすために買います。美味しい料理を作ります。
胃薬がわりや、腸活のために買うひともあるかもしれません。
でも、うさぎさんの餌かもしれません。
キャベツの絵を描くかもしれない。
分解して繊維を見るかもしれません。
キャベツが欲しい誰かにあげて、その人が持っている秋の栗をもらうかもしれません。
そして、腐ってしまい、買ったのに一切食べずに、そのままゴミ箱へいくかもしれません。可能性を生かしていないこれは何もしていないかと思いきや、生産者さんから販売者さんまでを生かすことができたので、もちろんもったいない、けれども、寄付と同じで、空は何もしていないわけでもありません。
なので、キャベツ、という存在は、食べるまではそれが食べ物かどうかすらも定義されていません。
「食べるものかもしれないし、絵を描くかもしれない、ただのゴミかもしれない」存在です。私たちはキャベツというものを買って、お腹を満たす可能性を買っているに過ぎません。
キャベツは食べ物、と、定義しているのは、人間の意識が自ら決めているもので、
「かもしれません」しかついていない。それが可能性であり、それが空の簡単な定義です。
キャベツは、ただの物体です。
このあらゆる空、可能性、物体を求めて、私たちは日々生きている部分もあります。
まだキャベツは目に見えるので、説明がしやすいのです。
このキャベツを分解して分解して分解して分解し尽くして、ただのエネルギー体、素粒子になった途端に、それは9割空洞、らしいのです。
超拡大した視点、9割空洞から視点を現実世界まで縮小させてくると、キャベツになる。
私たちはキャベツを手に持って見ています。重さも感じます。
でも、9割空洞らしい。
同じ事が言えて、人間はそこに存在している。
でも9割空洞らしい。
存在している。そして空洞(空)。
人間はただの可能性の塊です。
だんだん頭の中が混乱してきましたよね。
それが、幸福、お金、豊かさ、満足、友情、愛、など、目に見えないもの、となっても、
おそらく9割空洞なのではないかと私は思うのです。
先日、オリンピック経験者さんのインタビュー記事を読みました。
大好きなスケート高木美帆選手と、100メートルの山縣亮太選手の対談記事です。
「オリンピック選手になるには、どうしたらいいでしょうか?」
という質問に、山縣選手が答えたことは、
「その質問自体をやめること」
と言われたいたのが印象的でした。
が、よく考えれば、二重スリット実験や体の仕組みを考えると、同じことを言っているわけです。
観察しようとすればするほど、そこは独立してしまい、世界と連携しづらくなる。
オリンピック選手=特別なもの=難しい、と定義してしまうと、その現実を作るのが難しくなる、という結果ができてしまう。だからこそ、オリンピック選手になる、決めたらどうやって@Howは一切不要で、それだけでいいらしい。
ゴールは胆嚢を良くしたいだったのに、How(どうやって)は、全然関係ないことから調整していく。
二重スリット実験も「どうして縦縞ができるのだろう?」と観察しようとしたら、縦縞ができず、ただスムーズにエネルギーだけ流れ、「人間が意図した通りに」、2本の線しかできなくなる。観察しないと空であるように波であり縦縞ができる。
本当に豊かな人たちは、お金のことをそんなに考えていない。
本当に幸せな人たちは、どうやったら幸せになるんだろう、とあまり考えていない。
ただその状態を「感じているだけ」で、実際に1億円を持っているからとか、理由はあまりないのでした。でもただ豊かだなあと感じていると、振動が豊かさで振動しているので、さらに増えてしまう。
豊かだなあ、と、100回位心の中で言って、本当に豊かだと感じることができて、感謝ができれば、お金はどんどん増えていく。
しかしこれは何となく豊かな「感じ」を掴む練習です。
本当に豊かだと自分を定義している人たちが何を考えているかというと、感謝とか、どうやって周りを幸せにするかとか。
でもおそらく無一文のスタート地点では「どうやって豊かというものになるのだろう?」という疑問はあったはずです。
この人はおそらく「豊かになる」と決めて、あらゆる方法を使ったはずです。
ハウが分からなかったから、あらゆることを試す訳です。
簡単なのは本当に豊かな人(うまくいった人)の「マネ」をすること。
しかしお金を持っていることが豊かさだという定義になってしまうと、
お金はできた。でも、どうやら友情や幸福が伴っていない、というところに辿り着きます。
もちろんお金と同時に、最高の場所にたどり着く人もいます。
お金を作ることは簡単です。自分の人生の時間を差し出せばある程度どんなお金もできます。
しかし、時間とお金を交換している限り限界があります。それを超えるには。
真に豊かな人は、どうやら時間の使い方のマスターであり、時間のマスターになるためには、心のマスターになる必要があり、そして、どうやらとても広い世界のために働いている。
また新たにマネをする必要があります。そのアップデートの繰り返し。
最後にたどり着く場所は真の豊かさだけれど、お金のことは結局考えていないところにいます。
これは自分のことはあまり考えていないのに、結果的に全部自分に返ってくる性質を利用しています。
これを作用反作用の法則、といいます。
どうか、心の中で人を殺さないでほしい、というのもこれを利用しています。
顔で笑い、心で、陰口で、人を罵倒すると、どうなるか、もうわかりますよね?
嫌だったことを嫌だったなあと話す(状況を嫌だという)のと、その人の陰口を言うのとは全然異なります。
心の中で人を生かすと、同時に自分が生かされます。
心の中で人を幸せにしたら、同時に自分に幸せが増えます。
「空」とは、可能性であり、
作用反作用のエネルギーをそのまま受け取る性質がある。
だから、そうならざるを得ない、らしい。
時間が欲しかったら、時間が足りない人を助け、
愛が欲しかったら、愛が欲しくてしょうがない人の話を聞き、
お金が欲しかったら、お金に困っている人の手助けをする。
私は、今、空の中、インターネット空間、あらゆることができる空間に、
空の間を使って、空について、何となくざっくりとアウトプットをしている。
空の理解を深めてみたいからそうしているのであって、誰かがこれを読んで、
空に興味を持って、または、空とはそんなものか、あらゆるものが空であり、可能性だ、と、
腹落ちしたら、私が、空を少し理解できます・笑
あらゆるものが可能性であるから、私たちは何にでもなれるわけです。
それを「自分」というものに作用させているのは自分以外の誰でもないのであって、
外側は、全部自分が作り出したもの、らしい。
ここに自分が「自分の思い通りにならないことはどうでもいい」とクリエイトしないという選択をして、全体のことを作用をさせないでいると、「平均的なエネルギーが最も強いポイント」に、エネルギーは集約されるようでした。二重スリット実験での最初の縦縞模様ですね。
だから、自分で望み、誰かを助け、自分で新たな「空・間」をクリエイトして、
パラレルワールドへジャンプすることで、次元上昇していく。
さて、皆さんは、どの楽園へジャンプしていくのでしょう。
2012年からスタートした分岐点は、13年足した、2025年までが、選択の最終ゴール地点らしいのですが・・・(また13が出てきました・笑)。
2025年を超えても会えていますように。
私たちは空洞であるがゆえ、自分の意識を映写機に投影したどんな世界も体験できるそうですよ。
映写機を鏡に置き換えてもいいです。
三種の神器も鏡、神社は自分の心と対面する場所、
参道は産道であり、女性性の高い場所、入っていく私たちは目的を持って入っていくので、男性的な意味を持ち、合体して、そして新たに生まれ変わる場所、という人もいます。
だからお願いをするのではなくて、決心を伝えに行き、そして感謝を伝えにいく、
自分の心に対面しにいく場所のようです。
私たちのもつ鏡に投影するものを、神聖な場に行くことで、変えるのだと決心しにいくのかもしれません。
決心した瞬間に、51%は、その方角にむかいます。
その映写機に写した絵に感情を乗せ、行動をしたらその確率はもっと上がっていきます。
さて、何をクリエイトしましょうか?
何でもクリエイトしてみてください。
私たちは本当に、本当に、本当に、可能性の塊でしかないのです。
だって、無限のエネルギーである神のスピリットがはいっているのだから・・・
これを0に戻そうとしたら、完全分解して、ただのエネルギー、9割空洞に戻ります。
私たちが私たちをたらしめているものは、陰陽のあらゆるバランスの組み合わせ、らしい。
だから、0とか中庸に戻るのが流行っていますが、そもそも、人間が0になったら、完全分解しちゃう。
だから私たちは、「私」でいいし、直すところにフォーカスし続けなくてよくて、
本当にクリエイトしたいこと、豊かさや愛とか時間とか平和とか、
本当に欲しいことをフォーカスすれば良さそうです。
これをやって意識がかくだいしていくと、結局宇宙全体の平和にまで繋がり、宇宙全体の平和と自分の望みが一致して、完全に覚醒状態に入ると、結局、「クリエイター」と同じ振動になって、より0に近づいていくのだろうと思っています。最後は統合して終わりますが、旅をした記憶だけは全体に共有されて、「面白かったね」となるわけで、どんな「旅」も「素晴らしい」訳です。ここには悪も善も存在しえませんね。
神が持つ空は0であって、すべてを包括し、そして、動かすエネルギー、無限の可能性だけれど、人間の持つ空、とは0じゃなくて、0を含んだ1の状態、0➕1(決して1単独で生きている訳ではないのに、0はどんなにあっても足しても見えないので、忘れてしまうというやつ)なのではないのか?と思いますけど・・・。
今日もこれは単なる私の呟きです。
ただ、皆さんは空であり、可能性の塊であり、未来にも過去にも今の私は影響できてそして、目で見ているすべては自分で作り上げているのであり、だから、自分のお腹@潜在意識にオーダーするのは、自分が望む最高の旅の過程をオーダーすれば良いのだ、と理解してもらえれば良いのです。ここには、正しさや善悪(三次元的な判断)がない事がわかります。
これはただの今週の私の学びをざっくりとアウトプットしたものでありますが、何かの役に立てば幸いです♫