余談。
本当に、自動操縦、ベルトコンベア、と思うような出来事が、
日々本当に続いていて、びっくりしているのです。
前回「真我絵とはなんぞや?」と、
素朴な疑問として思ったものの、
詳しい説明も受けずにセッションを受けたと書きました。
数日前に買っておいて届いていたとある漫画。
届いたままおいてあったので、ようやく週末まとめて読もうと思って、
数冊読み、15年以上たっているがまだ連載続いているのかと最後の一冊を読んでいた所。
まさかの「真我」とはみたいな説明が数ページにわたって割かれていた。
あ、真我、そういえば、アートマンか・・・と・・・。
(アートマン絵と言われたら納得するのか)
言葉が知識として眠っていて私の中で繋がっておらず、
魂の絵を龍の形にして描く、それ以上に汲み取れなかった。
真の自分のことと思っていたのですが・・・
エーテル体、アストラル体、コーザル体、メンタル体、と
階層が上がっていくオーラの一部に、
真我という範囲、ほぼ、魂に近いような部分がある訳です。
コーザル体を超えた場所、
もしかしたら、神我絵、かもしれない。
そこは真我と神我は隣同士。
日本語って、音が同じになるようになっていて、
本質を表すようにできていて、改めてすごいよね。
ほとんど差がなく、人の認識程度ではほぼ同じようなもの。
・・・というような事が、さすが漫画、
一瞬でわかる便利な解説が絵で書いてある。
よくこの深い内容を誰かに伝えようと思って、
1ページにまとめあげた作者は天才!!!という素敵な解説だ。
漫画家だから伝え方がとても洗練されている。
拡大コピーしておきたいくらいだ。
(しかし一般の読者には「は?で?それが?」だろう・・・)
(ちなみに漫画自体は本当に好きで読んだらいいものだからオススメはしない。知識として読むなら本を普通に読むのが一番良いと思う。が、私はあらゆるオーラの本を読んで、知識として蓄えられてはいたものの、その見開き一ページが知識の整理として最も伝わる方法だった、という訳だ・・・)
私にとっては、数千ページを超える知識を、
割けるページ数が限られているから見開き1ページに収めて説明するには、と、
収めようとして収めたその行為自身が
天才的すぎてその解説自体が芸術だと思ってしまう。
絵、というのは、文字数千を一瞬で収めることが出来る素晴らしいツールだなあと、
改めて絵を描きたい・・・という欲が湧くような一瞬でした。
数十年前に読んでいたものの、続きが幾つか出ていて、
その後どうなったのか気になったのでまとめて読んだのだけれど。
本当に、私に改めて、エーテル体〜コーザル体について、
このタイミングでもう一度学べよ、というメッセージを持って
来てくださったのだと思って拝読致しました。
きっかけがあってこれを数十年ぶりに読もうと思い、
送ってもらうように頼み、
真我絵を描いてもらい、
真我・・・となっている時に、
本が届いていて、もう答えはそこにある。
それを読む。
一個一個はそれぞれの楽しみであって全然繋がりが無い、
なのに、全部繋がっているような感覚、
まるでその順番でなければならなかったような完璧なタイミングで、
それが、自動操縦を日々体験する、という感覚です。
その本は絵を描いて貰う前に届いていたので、
先に読んでいたら知っていると読み飛ばしていたかもしれず、
直感通り本はあとで読もうという感覚をそのままにして、
絵を描いてもらい、そして、時間があるから本を読もう、
あなたの問いへの答えはもうそこにあるよ、
その方が感動は数倍だよ、という、自然の計らい、
その順が、完璧すぎて、ものすごい毎度感動してしまう。
これが最近5月位から毎日続き続けていて、
毎日仕事もプライベートも全力で楽しんでいたら、
そうなっているので、それで、楽しまにゃ、となっている訳です。
私の楽しみ方って、本当にイルカみたいに、
その瞬間を楽しみ、もう次の瞬間には、逆を向いて泳ぎ、
全然違う事をやっているような。
一瞬前を忘れたわけでも、楽しくなかった訳でもなくて、
それをステップに更に楽しむだけです。
自分でもだから、イルカと言われて、すごく納得しているのです。
イルカは楽しんでいるだけで、光のグリッドを作ってしまう、
鳴き声それ自体だけで、人を癒してしまう。
私も遊んで楽しんでいるだけで、誰かの助けになることもある。
だから、遊んでたのしんでなきゃなあって5月から思っていて、
それを後押ししてくれたのが、昨日のセッションだったと思っています。
私の中では完全に流れと一貫性がありますよ。
それが10年後役に立つ事は本当にたくさんあって、
やりたい事はやりたい時にやっておくべきだと思っています。
必要があって手持ちの縁から取り出すのがこうして15年後になる訳で、
15年前に今その漫画から「真我、アートマン」とつながるとは思ってない、
そんな感じです。
目の前に置かれた一個一個は全然関係ない事なんですよ。
でも、それが最高の「縁」の意味かもしれないですよね。
このベルトコンベア式、超自然的回答のもたらされ方の、
芸術的な流れそれ自身が、本当に毎日「!」って、感動ばかりで、
今はただただ、目の前にもたらされるものを一つ一つ楽しんでいる感じです。
これ、私にできたのだから、誰にでもできる。
それを今度はどうやってここまでたどり着いたか、
皆さんに少しずつ教えるのが仕事だと思っています。
縁あって最近読んだばかりなのですけれど、
ネドジュンさんというご著書の方が、
私とまったく同じ事を言われているので、
ネドさん流のやり方も書いてあるし、
ご著書を読まれるといいかもしれませんよ。
読んで、あ、同じ感じだ、とビックリしました。
感覚が共有できると、それが推論から確信に変わるので、
とてもありがたかったです。
私はネドさんとはまったく違うルートで、
ほぼ同じ場所にたどり着いたのだけれど・・・
読んで改めて同じことをしていた部分もあります。
必要あって人に伝える仕事がある人たちは、
先に体験させられるので、今私たちは同じタイミングで同じもので、
そして、そうなっているのかもしれませんね。
合掌。なむなむ・・・。